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001 夕照六堰 F10 1997年
油彩で描いた風景画の第一号作品です。
荒川の中流にあり「六堰」と呼ばれていた取水ダムです。中学生時代に写生の授業で描いたことが有り、友人から「六堰が造り替えられて無くなってしまうから、描いておいたほうがいいよ」と云われて、何点か描いたうちの1点です。これを描く事が絵を描き始める契機の一つでもありました。
現在は100mほど下流に新しいダムが出来、上部が道路(鎌倉時代の郷土の武将畠山重忠にちなみ「重忠橋」)になりました。便利になりましたが、絵心をそそるようなものでは無くなりました。
*友人
小・中学校の同級生 中原 弘君で、残念ながら早々と他界してしまいました。子供の頃六堰の名称は水門が六つあるから、と思って居りましたが、下流に有った奈良・玉井・大麻生・成田・御生と吉見の六つの堰を統合するために造られたからと知りました。当時の村同士の水争いは大変だったようです。
※ピーヤ
当時年配の人達は六堰のことを「ピーヤ」と云っていました。調べてみましたがはっきりとした事は判りませんでした。土木用語で橋脚などの太い柱を意味するピア(Pier)からとった言葉なのか、堰堤状で上部が歩行可能だった部分を指した桟橋などの事でしょうか? -
002 梅雨の晴間 F8 1977年
002・003 その後もアングルを変えて何枚か描いてみました。友人知人に差し上げたり、50号で描いたものは地元市営の「もくせい館」に寄贈したりして、だいぶ処分し、現在手元に残っているものを掲載いたしました。
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003 六堰の上流側 M4 2005年
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004 背合せの人形 F10 1997年
カルチャー教室では「一日で描く静物画」と「二日で描く静物画」が、一年に二回ずつ有ります。サボらなければ1年に4枚作品が溜まっていきます。60枚ほど溜まったことになりますが、とても全部を掲載出来ませんので、主なもののみ掲載する事とします。最初に描いたお人形です。これは二日(述べ5時間)で描きました。人形はその後も何度か描きましたが一日で描いたのが次ページです。
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005 人形 F4 2006年
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006 箱根仙石原 F10 1997年
カルチャー教室で習い始めて半年程経った頃、「風景画を描きたいね」と云う声が誰ともなく挙り、有志15名程で湯山先生のご都合に合わせて、箱根の仙石原へ一泊で描きにいきました。
全員が人前で描くのは初めてとあって何となく気恥しく「湯山先生、誰も来ない処で描きましょうよ」とお願いし、初日は建築の資材置き場のような草原で描きました。
※エラン会
この有志の会が発展し「エラン会」(飛翔)と云う名称も決め、翌春第一回目のエラン展をMM21地区にある「緑の協会ギャラリー」で開催いたしました。カルチャー教室の湯山クラスの殆どの方が参加し、以来毎年開催し、年に2回開催した年も有りますので先日(26年4月)第19回が無事に終了致しました。 -
007 芦ノ湖展望 F10 1977年
翌日は皆自信を深めたのか、大観山道路にある「道の駅」の片隅で描きました。観光バスから降りた乗客から酒を勧められたり、あれこれ批評されたり、前日の「恥ずかしさ」から一転、大勢のギャラリーに囲まれながらの楽しい制作となりました。
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008 エンゼルCCコース東コース9番 F10 1998年
008・009 絵を描き始めた頃はゴルフも盛んにやっておりましたので、ゴルフと絵を両立させるにはゴルフ場を描くのが一番、と所属クラブのロッジに宿泊して、コースの絵も大分描きました。7年前にホールインワンをやり、その記念にそれらの絵をクラブに寄贈しました。現在ハウスの所々に飾って頂いておりますが、そのうちの二点です。
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009 西1番ティーグランドより F6 1998年
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010 夏の果物 F10 1998年
010・011 初期の頃に熱心に描いていた「二日で描く静物」の作品です。
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011 秋の果物 F8 1998年
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012 裸婦 F20 1998年
012・013 カルチャー教室の人物は、1年間に裸婦2回着衣2回でそれぞれが4日ずつです。初日はクロッキーとデッサンが主で、私の場合、着彩は2日目からにしております。
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013 黒い羽根のショール F20 1998年
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014 故郷の原風景 F4 1999年
私が少年時代を過ごした埼玉の田舎の藁屋根風景を、向井淳吉画伯が描かれた作品が数多くあります。それを真似して挑戦してみました。風除けの杉や欅、そして竹林のある風景は画伯も描かれておりますが、私のオリジナルとして桑畑の下に福寿草を描きました。かつては養蚕業が盛んで桑畑も多く、副業なのか必ず福寿草が桑の木の下に列植されておりました。これが私の原風景で、以後飛騨や忍野等の藁ぶき屋根の風景を多く描くようになりました。
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015 春近し F20 1999年
最初はキャンパスのサイズにPやMそしてSなどが有る事を知らず、すべてFサイズで描いておりました。
幅広のため人物画では左右に余白が出来てしまい、その処理に花やカーテンなど、実際には教室に無い物を描きいれて余白を埋めておりました。 -
016 舞岡公園の桜 F6 1999年
舞岡公園は横浜市営公園ですが、園内には古民家が有り田圃や畑も耕作されていて、自然を感じさせる私の好きなスケッチ場所のひとつです。舞岡公園の絵は後にも掲載されていますが、最初に描いた桜の季節のものです。
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017 ピカソの絵をバックにして F4 1999年
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018 イチゴの季節 F6 2000年
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019 春の囁き F20 1999年
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020 盛夏 F20 1999年