前社長ギャラリー

画集の発刊にあたって

 まさに 「六十歳の手習い」 で描き始めた油絵ですが、 早いもので十七年経過いたしました。 仕事を持ちながら僅かな余暇をみつけては描いており、年間ではたいした枚数は描いて居りませんが、それでも駄作が大分溜まりました。  油絵が主体ですが、 旅行や、2~3 時間の暇が出来た時に水彩で描いたもの、デッサンやクロッキーも有り なかには見るに堪えないような駄作も数多く有ります。 が、「喜寿」と云う節目の歳に当たり恥を忍んでそれらを画集として纏めてみようと思い立ちました。
 本来であれば個展を開催して皆様に御高覧賜り、御批評や御感想を直接にお聞かせ頂く機会をつくれば宣しいのですが、未だ現役で仕事をしており、とてもそのような時間が取れませんので、あえて画集に掲載した絵で皆様の御講評を仰ぎたく存じ発刊を決意した次第です。
 振り返りますと、私と絵の関係は戦後の小学校四年生の時からになります。
 当時虚弱体質であった私は 校庭での「朝礼免除」 の特典を与えられ、最初のうちは朝礼の様子を教室の窓越しにながめて居りましたが、担任の先生のアドバイスで、新聞のカットを切り抜き ノートに貼り付けたお手製のカット図集を作成し、それを参考にして絵を描いて朝礼の三十分程度の時間を潰しておりました。
 担任が絵の得意な先生で「放課後 残つて絵を描くかネ?」と云われ、六年生までの三年間 時々ではありましたがご指導を頂きました。 小学校ではクレヨン画でしたが、 地域の学校別展覧会などにも出品し鉛筆やノートなどの文房具を賞として頂き、 自分では余り買わずに済んだ記憶が有ります。  しかし 中学に入ると、育ての親である祖母に「図画工作」の授業時間以外に絵を描くことを禁止されてしまいました。  将来、 売れない絵描きになられるのを心配したのでしょう。  代りに「書道」ならOKで、高校のクラス分けも書道のクラスを選択し絵とは全く御縁が無くなりました。
 大学の一般教養時代、選択科目に絵画が一単位有りこの授業は選択しましたが休講が多く、実際に描いたのは木炭での石膏デッサンが1~2度だったと記憶しております。 社会人になってからは造園設計のパースを描いたのが、多少絵画に関係したと言えますでしょうか。
 六十歳の誕生日の夕刊でたまたまカルチャー案内を見て、女房殿のお許しを得て「初歩からの油絵」教室に申し込みました。 それが湯山俊久先生の御担当で、 油絵具や用具の扱い等、一から教えて頂きましたが、こんな御高名の先生に巡り合えた事は本当に幸いでした。 ただ夜の講座ですので、専ら人物や静物を室内で描く事になります。 そこで先生にお願いをして年に1~2 回一泊写生会を有志で企画し、風景画もご指導頂きました。 「ダメダメ、それでは絵はがきになってしまうよ。」と云われながら相変わらず絵はがき構図の絵を描いて十七年経ちました。 図集の選別作業に当たり、過去からの絵を見直してみましたが、あらためて進歩の無さを痛感しております。 教室で描いた人物と静物画、有志でのスケッチ旅行とその後会員になったチャーチル会で描いた風景画等々ジャンルは雑多ですが、今回は油彩画のみを掲載いたしました。 ほぼ制作年次順に並べましたので継ぎはぎの編集になり御見苦しい点はご容赦賜りたく、多少なりとも進歩しましたか如何かを、順次ページをおめくり頂き御講評賜れれば幸甚に存じます。

                                                          平成26年(2014) 6月
                                                                 今泉 健壽